2004@Nakazy Welcome to this My Page
(・∀・ )いやぁよく参加しました。最後の方は大会というより同窓会ですた。
|д゚)カンサツ
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★全国キャラバン

キャラバン思い出し日記
●キャラバンの戦績を紹介
 一つ一つの大会の
  思い出日記もあり

キャラバン動画
●当時の恥ずかしい動画です。
  まだ他にもあったので、
  そのうちアップするかと・・。

キャラバンゲーム
攻略法
スターソルジャー




高橋名人&キャラバン
参加者対談
●高橋名人と対談してまいり
  ました。本当はもっと濃い話
  をたくさんしてましたw。
  ちなみにそんなこと
  言ってないよっての
  多々ありますw
★オンラインゲーム
  LINEAGEU
★PS2
  サカつく4
第2回TDK全国キャラバンツインファミコン大会
●みんなはこのゲームを知っているだろうか。あまりに有名なゲーム【スターソルジャー】
  5方向までパワーアップする自機、地上に隠された8つのゼグ、
  2つの目玉を同時に破壊するとボーナスのデライラ、
  合体前に16発打ち込むとボーナスのラザロ(合体時間約1.4秒)、
  そしてファミコン史上最大の敵(当時)ビックスターブレイン。
  ハドソンの代表作であり、ファミコンの代表作でもある。

そのスターソルジャーで行われる事になった、第2回全国キャラバン
今回は、お店に2週間前に全国の有名おもちゃ屋数店にスターソルジャーの試作品がおかれた。
なかじは毎日大阪なんば虹の町にあるおもちゃ屋に通った( `д´) コドモナノニ?w。
このアドバンテージは大きかった。後の大会へ大きく影響する。かと、思われたが甘かった。

この年は、大阪梅田で漫画博覧会というのが開かれており、その中の目玉として、
スターソルジャーを使った映画「高橋名人vs毛利名人」で実際に使用されたバトルブースがあった。
実際その機体に乗り、客同士の1vs1の対決が連日行われていた。
8月1日に漫画博に行った時、7月20日より始まっているキャラバンの速報がでていた。1位94万点。。。
そんなバカな!当時のなかじの最高得点は92万点にも満たない。
90万でも一発勝負の大会で出す自信もなし。改めてキャラバンのレベルの高さを痛感した。
が、その後一週間もしない内に大技(当時)をハッケソする。2度目のラザロだ。
5分間で2度目のラザロを出すという、一見シンプルに聞こえるのだけど、
スターソルジャーは敵に触れるか弾を受けると自機がやられる。そのくせ敵はたくさん出てくるし
弾も結構撃ってくる。5分間やられずにいるだけでも大変な作業なのだよ。
基本的に1回やられたらグランドチャンプどころか会場優勝すら不可能。
でも5分間でラザロを出す為には、敵の通路起動に入ってでも瞬殺しなくてはいけない。
さらにゼグやデライラ、また隠れキャラのミロン、マットウクジラもGETしなくてはいけないのだ。
当時の日本ゲーム界のレベルでは、大会で2度目のラザロを出すのは、
まさに神だった。(今なら出して当たり前だが)

ついに大阪大会が幕を開けた。今年は高橋名人が会場を回るのではなく、門下生の桜田名人(南)と
川田名人(北)が回っていた。人気は、やはり高橋名人には劣るものの、
それはそれでなかなか味のある名人ではあった。
大阪大会1日目、調子が上がっていたなかじは、なんと堂々の予選1位通過!
前年度予選落ちの屈辱をはらせた。

大会以外に目に付いたのが、叩き打ち又は痙攣打ちともいうボタンの押し方と、コスリというのが争われた。痙攣打ちは正統派、コスリ打ちは邪道といわれていた。なかじは痙攣打ちで参加していた。コスリ打ちは好きになれなかった。今思うと馬鹿だったなぁ(´・ω・`)。なんせ痙攣打ちは頑張って1秒間14発ほど。コスリは、1秒間25発以上出る。今なら間違いなくコスリだな。大人になった証拠なのかw

またもうひとつ目に付いたのが空前の軍団ブーム。一人で攻略するより、仲間を集めて有益な技を共有しあい、レベルを高めていくのだ。大阪で一番大きな軍団は、コスリ打ちする者だけを集めた蛇道軍団(邪道ではない)だった

。話を戻して大阪大会決勝。2度目のラザロはリスクが高い為狙わずに行く作戦にでた。
2度目のラザロ以外のボーナスを全てGET。
結果は2位の953500点(結果的にはこの数字が大阪第2位の記録となる)
大阪大会優勝は大西 清の959300点。結局彼がこの得点で南キャラバンチャンプとなる。

次の日地元八尾での大会が行われた。ここでは蛇道軍団青柳が快調に飛ばし
見事予選1位を獲得していた。おっそろしくコスリが早かったのを覚えている。
続いて蛇道団長の山下兄弟も予選を通過。なかじも5位で通過。
決勝での好結果が予想されるも、青柳も団長も振るわず、なかじも2度目のラザロを狙い爆死してしまう。

結局優勝者は86万点という平凡な数字で終わる。その後2会場大阪大会に出場するも、
やはり2度目のラザロはリスクが高く成功しない。

大会終盤にきて、北キャラバン最強軍団の阿部軍団団長、阿部君が96万点オーバーを記録。
このまま阿部君の逃げ切りかと思われた。
が、大会は動いた。またも北キャラバンで記録が塗り替えられた。
99万点オーバー。この頃は無名の清水氏(後の怪物)。

!!??キャラバン出場者は全員が青ざめたはずw。
5分間全てのボーナスを逃さずGETし敵を倒しても、97万点がいいところ。
99万点をどうやってだしたのかは、みんなわかっている。
そう2度目のラザロ。おそらく4万点ボーナスのミロンかマットウクジラをミスったのだろう。
それは救いではあったけど、絶望感の方が高かった。
まぁこの時点で南キャラバン逆転はなくなっていたな。

大阪、そしてキャラバン最終日となる8月31日の会場は聖地、梅田漫画博。
キャラバン戦士が集まりに集まった。

2年連続で北に負けるわけにいかない。
この頃には常連の神達は、2度目のラザロをみんなが知っており、狙っていた。
もちろんなかじも2度目のラザロのみを狙って予選出場。
漫画博最終日は、南キャラバン最高人数が出場、しかも20人しか通過できない予選から高レベル。

ここでなかじは痛恨の予選落ち。特にミスはないのに、予選点数で20人に入れず。
2度目のラザロばかりを見ていて足元をすくわれた。
なかじの熱い熱い夏は、またも予選落ちで悔し涙を飲む形で幕をおろした。

結果は清水氏が99万点でグランドチャンプとなる。キャラバンの超人伝説の始まり。
グランドチャンピオン 清水 隆弘 994700点



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